照手と別れ、先を進む小栗を乗せた餓鬼阿弥車は、なおも京・大坂を通り、熊野を目指して進んで行きました。
その道は、いよいよ厳しく、しばらくすると山道に近づいたために車道がなくなってしまいます。
あともう少し、というところであったのですが、上人たちにはどうすることもできず、困り果ててしまいました。
「この哀れな餓鬼阿弥を、熊野の湯に浸して、元の姿に戻してやりたい。」
「しかしこれ以上は、我々の力では進むこともできない。」
「もはや、これまでか・・・・・・。」
そんな思いが上人の心をよぎります。
何も分からない餓鬼阿弥の首で、閻魔大王によって書かれた木札がむなしく揺れました。
そしてその木札の裏には、別れる際に照手の追い書きした一文があります。
「この車の施主は数多ある中に中山道はよろず屋長衛門(よろずやちょうえもん・※1)の抱えし常陸小萩(ひたちこはぎ・※2)」
悲嘆に暮れているところへ、大峰入りのために歩いていた百人ほどの山伏たちが通りかかりました。
餓鬼阿弥の姿見て取った彼らは、こう言います。
「この者を、七色に色を変えるという熊野本宮湯の峰に連れて行き、その湯に浸してとらそうではないか。」
籠を組み、餓鬼阿弥を入れ、若い山伏がそれを背負いました。
そうして餓鬼阿弥は山伏に担がれて山道を越え、四百四十四日めにとうとう目的地である湯の峰に辿りついたのです。
七日入ればその両眼が開き
十四日入ればその耳が聞こえ
二十一日入れば早くもその口から言葉を話す
その後四十九日には六尺二分の豊かなる元の小栗に戻るであろう
四十九日間、霊泉に浸された小栗の体は、元のたくましい若者に戻りました。
小栗は本復の御礼に熊野三山を参詣し、その帰途に、熊野権現が小栗の前に現れて
「弓とも盾ともなって天下の運を開くものを授ける」
と、小栗に二本の金剛杖を託したのです。
その小栗が真っ先に訪れたのは、都の父と母の住む屋敷でした。
屋敷では自分の一周忌の法要が行われている真っ最中だったのです。
修験者に変装した小栗を門番は、箒で叩いて追い返そうとします。
「御身のような者は、この屋敷に入ることはならぬ。」
それを見ていた奥方様は修験者を哀れに思い、屋敷に招き入れました。
一周忌を迎え、息子のことを思っては悲しみに暮れる奥方様の姿に小栗はついにたまりかね
「母上様、私はあなたの息子小栗にございます。三年間の勘当、どうかお許し下さいませ。」
頭を地につけひれ伏して告白したのです。
奥方様はすっかり驚いて、兼家にそのことを伝えます。
すると兼家は、修験者姿の小栗にこう問いかけました。
「もし本当の我が息子小栗であるならば、幼い頃より教えてきた矢取りの法を知っているはず。」
言うが早いか、小栗の目の前にたちまち三本の矢を射掛けたのです!
小栗は一本目を右手で、二本目を左手で、三本目を見事歯で受け止めました。
そして再度、兼家に、自分が小栗であることと勘当の詫びをのべたのです。
兼家もようやく小栗の本復を信じ、晴れて父子の名乗りをすることとなりました。
それから親子連れ立って、帝の御番に参りました。
帝はその噂を耳にすると「小栗ほどの者はおるまい。」と五畿内五カ国の領地を与えようと致しましたが、小栗はそれを断りました。
「私はそのような大国は必要ありません。頂けるのあれば美濃の国に替えて頂きとうございます。」
小栗のその言葉に、帝は大変驚きつつも感心致します。
「大国を小国に替えるという望み、聞き入れよう。美濃の国を取るが良い。」
さて、美濃の国の領主となった小栗。
三日間で三千余騎の家来を集め、美濃の国へと領地入りを致しました。
そして一番最初の宿を、「
遊女宿よろず屋
」とするのです。
(皆さん覚えていますか?「
遊女宿よろず屋
」には誰が居るか・・・。by あすか)
よろず屋の長は、新しい領主が来ると聞きつけるなり、百人の流れの遊女を集めてこう言いました。
「これより新しい領主様がおいでになる。誰でも良いから気に入られるように致せ。さすれば、領地のひとつでも頂けるであろう。そして私たち長夫婦を良きに養っておくれでないか。」
宿に着いた小栗を待っていたのは、我先に我先にと色めき立つ遊女たちでした。
彼女たちには目もくれず、よろず屋の長を御前に呼び寄せて、
「ここに下働きの水仕(みずし)で、常陸小萩という者がおるであろう。その者に酌をしてもらいたい。」
と仰せになりました。
よろず屋の長は、小栗の仰せに常陸小萩、いえ照手の元へと向かいました。
ひたすらに、遊女になることを拒んでいた彼女を説得するためです。
「如何に、常陸小萩。御身の美しさが都の国司様へも伝わっているらしい。主に酌をとの仰せだ、早く参れ。」
しかし、照手は頑として首を縦には振りません。
「常陸小萩よ。主が餓鬼阿弥車を引いて行きたいと申した際に、こう申したな。将来、我々長夫婦の身の上に何か大事があったときには、この常陸小萩が身代わりに立とうと。その慈悲に駆られ、三日の暇を五日にしてやったではないか。今、主が酌に参らねば我々夫婦は死ぬしかない。何とか取り計らってはくれぬものか?」
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